熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

メモ かて飯の

夫、定期往診を受けて薬が少し増えた。

寒さのせいかなぁ。

 

今日はママ友と上野御徒町で待ち合わせて映画に行くことになっていたけど、ママ友が体調を崩したままで中止になった。

先週寒かったし。

昔は1日寝ればなんとかなったのにねと。

 

夫、米を入手できた買えたと喜んで持ち帰る。安くはないが主食だからないと困る。

もち麦のグラムあたりが白米より安くなった。

令和の米騒動平成の米騒動の時より酷い。

 

かて飯のレシピがSNSにあがるようになってきた。

熊谷家では戦後おからを入れたご飯を出したことがあるそうだ。

義父は山形に縁が強かったからウコギは食べなかったのと夫に聞くと、なにそれ状態。

米沢に行くとウコギメシやウコギソフトクリームもあったよと。私の子どもは2人とも米沢で自動車免許取ったからウコギご飯は知ってるよ。

そういえば住んでいた団地にウコギの生垣がありPTAの炊き出し訓練時にウコギアク抜きして入れようかなんて話しもしたことがある。

かて飯が聞こえが悪い世代ももうほぼいないし、今は健康に良いと綺麗に精米してない米や雑穀米を食べる時代でもあるし。

 

米を少なく炊くために混ぜ物をしたのかて飯、かやくご飯、炊き込みご飯ともいうが、義父の内縁の妻が作ったというオカラ入りのかて飯、今なら健康食だ。

オカラ入りのご飯は優秀な健康食として紹介されている。

 

オカラは戦時中に結構配給されていたとかも読んだ記憶が。

豆乳、大豆脂の搾りかすでもあったオカラ。

父方の祖母が作ってくれた牛すじ入りのオカラは美味しかったなぁ。

空襲まで白米を食べていた中流層の母はオカラを好まなかった。良い思い出がなかったようだ。

 

 

 

そういえば昔、早乙女勝元先生の手伝いで戦時中の外米を調べたことがある、また書き残されて出版されていた日記を片っ端から読んだ。

外米の配給が始まると混ぜらたれたものとなり、色とりどりのご飯となった。

戦争が悪化して外米が入らなくなると量が減り、また膨らむ外米を懐かしむ日記もあった。

あの手伝いをした後に平成の米騒動があったのも懐かしい。令和の米騒動はあの時よりも品薄だ。

平成の米騒動で国がとった米の専売制度の廃止。農家から消費者が自由に米を買えるようになったおかげで安く買えるようにはなった。

が、令和の米騒動では米の備蓄庫を持ってない人が米を買い占めて転売している。

適切な管理下にない米はカビるし、虫もつく。

米のカビは良くない。

大丈夫だろうか転売ヤーの米。

 

 

友人の故明智抄の実家は米農家で直売を東大で定期的にやったりもしていたが、米の保存用のでかい冷蔵庫みたいなのを持っていた。

きちんと備蓄された米は適切な精米後に梱包されて、前年度の米でも美味しかった。

彼女は米が大好きだった。凄く食べていた。

 

彼女の家が作っていた米は炊いてしばらく経っても美味しく、お弁当に使うと冷えても美味しく。

うちが介護離職と離婚したあと、一番大変だった時期に送ってきてくれて助かったのが懐かしい。

 

 

 

 

 

 

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