熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

メモ 1935年雑誌『美術』の中の熊谷登久平 海南賞メモ的な

最近、気持ちいい目覚めの日があまりないような気がする。軽い喘息の発作だったり肋間神経痛だったり、寒いせいだけど。

夫のパニック障害もなかなかおさまらない。

処方された薬が結構効くのでヤバいと思ったら服用して欲しいと言うのは妻としては我儘になるのかなぁ。

 

スマホのフォルダに入ってる義父の資料の中の国会図書館のデジタルコレクションで見つけた2回目の海南賞の義父の写真をまじまじと見る。

海南賞は独立美術協会で出ていた賞で、義父は2回受賞していて、あまり良い意味ではなく話題にもなったようだ。

なんとも言えない表情の写真。

2回目の海南賞を取った時の義父の心境が出てる。この写真、気に入らなかったのか義父のスクラップブックに残されてない。なので国会図書館デジタルコレクションで初めて見た。

 

繰り返すけど熊谷登久平は独立美術協会の独立賞が欲しくてたまらなくて頑張ってて、大作を出して勝負したのに2回目の海南賞を取った時のガッカリ。

それがわかるような気がする熊谷登久平の表情。

 

その海南賞は朝日新聞副社長だった下村宏こと下村海南氏が第二回独立美術展から提供した賞。

下村宏は私からしたらタツノコプロダクション制作のアニメンタリー『決断』の語り部役の人だったりする。うろ覚え。

玉音放送がらみのドラマにも必ず出てくる人だよね。

私がお世話になっている上野公園内の文化財研究所の礎とも言える『明治大正美術史編纂事業』関係者の下村宏に選ばれたのなら熊谷登久平はもっと胸を張って良いと思うのよ。私なら喜ぶ。

海南賞2回なんて下村宏こと海南に2回選ばれたという名誉だと。義父様一緒に『決断』を鑑賞しませう。

 

残念ながら、下村宏が独立美術協会に海南賞を提供していたことは忘れられている。

 

(私、文章で入賞した時に三枝成彰さんと落合恵子さんから褒められて、受賞パーティー時に三枝さんがわざわざ私の先まで来てくださった時は『Zガンダム』と『逆襲のシャア』の曲について語りそうになったよ。)

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https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/project/catalog002.html
『明治大正美術史編纂事業は、この「明治大正名作展覧会」の利益金二万五千円を資金として成り立ったものである。昭和7年4月、朝日新聞社は展覧会の成功を恒久化して日本の美術界に貢献すべく、帝国美術院に利益金の寄附を申し出る。これを受けて帝国美術院は明治大正美術史編纂委員会を設置、委員長に正木直彦氏、委員に帝国美術院会員結城素明和田英作高村光雲、香取秀真の諸氏、帝国美術院幹事矢代幸雄朝日新聞副社長下村宏(海南)の両氏を定め、実行に着手するに至った。』

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血中酸素96

機械脈75

脈実測72 不整脈なし

体温額36.8

体温脇36.5

血圧110-68