暑い
義父と同じ時期に小石川の川端画学校で学んでいた柬理次良画伯、その作品を入手できた。
額は彩美堂の斉藤さんと義父が長距離搬送でも絵を守れるようにと工夫したものだ。
残念ながら今は廃番である。
相手さんにどこで入手できたのかを聞くと画商向けの市だという。誰が手放したのかは追えないが、大事にされていたとは思う。
画伯は義父と同じ時期に川端画学校で学んでいたと思われる。川端画学校も空襲で資料があまり残っていない。
白日会の中興期を支えた1人だけど資料があまりなくて、白日会100周年記念誌の校了間近に村上鉄太郎画伯の資料撮影中に浮上し、慌てて資料を探した人。
今は全国研究施設の資料がネットで読めるとはいえ、あのとき資料がなかなか浮上しなくてワードをいくつか試し、北海道に絵があると知ったが、柬理次良画伯の情報は薄かった。
村上鉄太郎が書いた追悼文がご遺族宅で見つかり、スキャンして編集部に送信し、それを元に白日会100周年誌に寺久保画伯が書き加えた。
だって翌日がすでに版下がほぼ出来上がっている紙面に食い込ませるギリギリだったんだもん。
https://artmuseum.pref.hokkaido.lg.jp/database/collection/14621
あれから半年後の先週出てきた戦後の白日会の写真。
↓左から 牧原万之助 柬理次良 村上鉄太郎