熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

ささやななえこさんの訃報

 

夕方低気圧のせいなのか酷い頭痛。

 

と、寝てたら夕張メロンを頂いた。

ふと、飲み仲間でもあった漫画家のささやななえこさんから聞いた炭鉱が栄えていた時代を思い出した。彼女の故郷も炭鉱で栄えた街で、親御さん亡き後実家は彼女が維持していた。

 

その昔話を思いながらメロンを冷蔵庫にいれていたら、ささやななえこさんが6月8日に亡くなったと、彼女のご主人であり私の元担当編集だった佐川俊彦さんから連絡あり。

葬儀は身内で済まされたとのこと。

 

先月、電話で雑談をしていた時に佐川さんの様子が少し変で、ささやさんの体調が悪いのかなと感じていたので覚悟はしていた。でも寂しい。

佐川さんが著作にささやさんの認知症のことを書き、公開されたのが先月。

施設に入居されている時期にコロナ禍がきて、面会にも行けなかった。そして亡くなられた。

ささやさんは今頃天国で塩沢兼人さんとカラオケをしているかな。

 

そういえば、故明智抄さんがささやさんと佐川さんのインタビュー記事だか対談だかを読んで「夫婦でやっているとは思えないほど、客観的で良い記事だったのよ。あれだけの理解者と夫婦で羨ましいわ」的なことを言っていた。その時の彼女の旦那さんは彼女の作品をあまり読まない人だった。

その後、佐川さんが企画編集をしたJUNEのエヴァンゲリオン本に私と明智さんも参加し、その中の明智さんのページを読んだ歳下の男性から不思議な手紙が某編集部経由で届いた。

その熱心なファン男性に口説かれた彼女は離婚して半年後に再婚した。

その再婚相手と山陰のSF大会で対談的なやつをやった時に、自分の作品への理解者と結婚する幸せをあの頃の明智さんは体験できたのだろうと思う。

 

ささやさんは最後まで旦那さんに大切にされていて、良かったなと思う。

 

(私はJUNEのエヴァ本に明智さんを誘ったことを後悔することもある。良い本であったが)

 

ささやさんと知り合った頃の佐川さんは早稲田大学の学生で、実家からの仕送りもバイト収入も本などで消え、栄養状態が悪くほっそりした美青年だったと彼女談。ファンクラブもあったとか。

2人の結婚披露会は竹宮さんたちが開いてくれたとか、飲みながら昔を美青年佐川さんを懐かしむささやさんはその時のふくよかな佐川さんももちろん好きで。

竹宮さんから譲ってもらった使用後のベッドが佐川さんの重みで壊れたなんて話しもしてくれたけど、ベッドの上にも本が積まれていたのではと私は勘ぐったり。

JUNE編集部に行くと佐川さんが何を食べていたかと聞かれて素直にイクラとか話したら身体に悪いと心配し、佐川さんが京都の大学に招聘された時は彼の食事とか心配だからとついて行った。

大学周辺には食事処がほぼないので一緒に暮らしたのは良かったと言ってたのも懐かしい思い出となった。

 

佐川さんと最後にあった時に彼がえらい痩せていて驚いた。

その頃は既にささやさんは東京の施設に入所していたが、コロナ禍で面会ができなくなっていた。

 

色々と走馬灯だ。

 

 

 

 

 

 

 

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