熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

訃報を聞く

結構美味しい干し芋が安く変えた谷中銀座のお店が閉店して今は更地となってて、私は干し芋に飢えている。

北千住のマルイに干し芋専門店が入って、お得なのもあるけれど高い。

 

親友のお父様が茨城県豪農の息子さんで戦前に都内で理系大学生だったおかげで兵役が猶予され終戦を無事迎えたけど、大学で軍の調査研究を手伝ったり色々あったそうだ。そして、彼は戦後お嬢様宅に婿養子に。

お嬢様宅は都内某所に銅像が建っている1942年の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる翼賛選挙)で大政翼賛会の推薦を受けずに当選した豪農の近い親戚だったりする。

(あの時代に大政翼賛会の推薦を受けないで当選するって凄いことなのですよ。)

で、親友のお父様の実家から送られてくる干し芋がとても美味しくて、毎年お裾分けいただいて幸せしてました。

残念ながら代替りで作れる人がいなくなり、有名店の干し芋が送られてくるようになり、それも美味しいけど、なんか違う。

でも美味しかった。

そして、20代だった私たちが還暦になったぐらい年月が流れて、その美味しい業者のも手に入らなくなった。

あの干し芋はなんだったんだろうと、たまに友人と懐かしむ。

大量に送られてきたのを、小分けにして冷凍しトースターで焼いて少しずつ食べる幸せ。バターも合う。

干し芋食べたい。

 

 

 

 

 

 

食べたいといえば岩手県名物だという牛乳瓶入り生うに。

私牛乳瓶入りウニはしょっぱいのしか食べたことないけど、岩手出身の友人はしょっぱくなく美味しいものだという。

それは私が食べたのと同じものなのだろうか。

 

下谷区黒門町の老舗の輪業部品問屋さんのご主人の訃報を聞く。

この前、夫の手伝いでお伺いした時はお元気で猫談義を楽しくしたのに。

その戦前からの問屋さんがあるから家業が続いている。

廃番になった部品も探してくださる。

Googleの口コミでうちの修理費が安いとあるが、古い型の部品が手に入る問屋さんがなければ部品交換をともなう修理を受けられない。

幸いなことに後継者さんがいらっしゃるので、これからもお願いはできる。

 

 

黒門町界隈、御徒町あたりは明治時代から自転車関係の業者が多くて関東大震災後には銀輪が走ったなんて伝承もある。

その街の戦争で焼け残った一角の問屋さん。

 

夫は仲良かったので落ち込んでいる。

 

ほんとうに身近な人の訃報を聞く年齢になったよね。

 

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