ウクライナのゼレンスキー大統領が広島のサミットに参加する為に来日された。
我が国の隣国のロシアからしたら不愉快なことであろう。
単なるミーハーな私には歴史的な瞬間だわっと感無量な感覚がある。(個人の感想です。念のため)
明智抄さん宅に泊まり、原爆被爆者の取材に向かう前夜、現在の東広島市から原爆投下直後の広島へ山を越えて救援に向かった明智さんのお父様。
雑談の中で戦争は無くならないと強くおっしゃった。
お父様は救助活動で被爆はされたと思われるが、子どもへの差別を恐れて手帳の申請をしなかった。
明智さんのアシスタントにも被爆二世がいたが、彼女のお父様も子どもへの差別が怖くて長らく手帳を申請しなかった。
他の同人仲間にも被爆二世はいる。それぞれ親御さんは長生きをされた。
私が取材に向かったのは原爆により死亡したB-29搭乗員のことだった。
小学生時代に読んだ「はだしのゲン」にも少し登場している。
その亡くなった搭乗員のことの取り調べの資料が米国に残っていて、若い特別高等警察の写真が記憶に長く残っている。
その太宰さんは、早乙女先生繋がりで知り合った足立区在住の被爆者の方から聞いていた文京区と上野公園東照宮に被爆者の慰霊碑を建てるときに協力したくれた人らしい。
その太宰さんが義父の弟子であった太宰博邦氏と知った時の驚きよ。
ロシアが核兵器を使うのではないかと怯えても入っている私には、今回のG7で矛盾しているがロシアへの圧力になればとつい思ってしまうのだ。
ウクライナはソビエト連邦の核ミサイル基地がある領土だったが、それを平和のために廃棄し無効化していたところにロシアの侵入を許し、クリミアを奪われた。
しかもそれで終わらなかった。
今侵略されている。そりゃ反撃もするわなと私は思っている。
私は過激なのだろうか。
と、早乙女先生と話したい。
信州高遠美術館で深川生まれで谷中にあった太平洋美術で学び、谷中の額縁屋さんで修行をし、谷中にアトリエがあった張替正次さんの没後20年展が開催されるとか。
張替正次さん夫の記憶の中では義父の画仲間で家の行き来もあったとか。義父の死後も個展の案内を頂き谷中での開催にはお伺いしていたとのこと。
今回の展覧会を開く信州高遠美術館。美術館紹介サイトによると。
https://www.nagano-museum.com/info/detail.php?fno=145
「高遠(現伊那市)出身の画家原田政雄【はらだまさお】(1908~1988)が50数年にわたり収集した700点のコレクションを含め、近現代の作家、郷土の作家など、1700点の絵画・彫刻・デッサンなどを所蔵」している。
その原田氏が寄贈した中に張替氏の作品が多くあった。
美術館に問い合わせると、それが縁で張替さんが個展を開きご本人から寄贈された作品と、張替さんの御遺族から寄贈された作品があるとか。
なんと、美術館には我が家の斜向かいにアトリエがあった堀信二さんの作品、やはり谷中の太平洋美術の校長だった中村不折像もあるそうです。
で、やはり谷中にアトリエがあった木内克さんのテラコッタもあるとか。
行きたい。
交通の便がとても悪い。( ; ; )
ギャラリー・ファムファタールのインスタより。
https://www.instagram.com/p/CschW5fSRMw/