25年前に調査取材した時のB-29関係資料が欲しいと10日間ほど前から熱心な電話が続いてる。
それは5年前なら確実にあり、場所もわかっていた。
が、敗血症で死にかけて50日入院した後に足立区から台東区に業者任せで引越ししたので段ボールの中にあるか、廃棄したかもわからない。
体調不良の時で、業者さんに大雑把な指示をして谷中に持っていくものと廃棄するものに分けた。
欲しがられている資料は私は好きではないので持ってこなかったかもしれない。
その資料関連のものは持ってきているがどの段ボール箱かはわからない。
私は今熊谷登久平関係を調べるので精一杯で、体調も安定していない。
だからどうしても期限を決めてその資料が欲しいなら業者を入れて探すしかないと相手には言っているが、費用負担は辛いようだ。
その資料が成り立つまでに私はかなり時間と金と労力を使っていた。
日本とアメリカの資料をすり合わせ、現地取材も重ねた。
一年二年ではない。
が、いつの間にか私は市民団体に属していることになり、市民団体がやったとなっているので愉快ではない。
苦い思いもする資料である。
それを今月はじめて連絡をしてきた人の立派な志しの為に探し出すのはしんどい。
ないかもしれない。
六畳三部屋に積み上がった詰まった段ボール箱を一つ一つ開けて調べる気力はない。
また、資料が見つかったら他に依頼をしてお金をかけて整えるのでと言われても戸惑うだけだ。あの資料は著作権者が亡くなったとはいえ、著作権は生きている。
大丈夫なのだろうか。
あと、変な話し、私はアメリカの公文書館でガンガン調べて、戦友会の人たちのアルバム調べても欲しい情報はほんの僅かしか得られなかったりした。あるかも知れないという希望だけで、かなり自分で調べた。
私が持っているかもだから私に調べて欲しいと言われても、歳上相手に失礼であるが戸惑う。
私は冷たいのだろうか。
谷中清水町の三段坂の途中にある和洋館が公開してて覗いた。
↓池之端画廊の鈴木英之さんの作品があった。
https://www.ikenohata-art.com/suzuki