戦前キッテ通りにあった太平洋美術会のことを聞いてまわっている。
太平洋美術会の内部に長谷川利行がいる写真が現存しているけど、それはもちろん戦前の写真。
話に聞く太平洋美術会の建物は立派で敷地面積も広くキッテ通り面から裏の崖の小道まであったとか。
残念ながら太平洋美術会があった辺りは空襲で広く焼けてしまっているけど、古老に聞くと昔は上野桜木から画家だらけだったととのこと。
その中で食える画家は少なく、義父の仲間には昭和20年にほぼ餓死のケースもある。
太平洋美術会が太平洋洋画会研究所だった頃学びストライキをした1人で、凄い画家として私の中に記憶がある鶴岡政男も戦後暫く貧困に苦しんでいた。
また私は谷中安規の焼け出されたあとの餓死もショックだった。
空襲から生き残って終戦を迎えても餓死の時代があったのが戦後で、それが豊かになり餓死も表層には滅多に出てこない時代を生きてきたけど、なんか今はコロナ禍で貧困が浮き上がり見聞きする。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E4%B8%AD%E5%AE%89%E8%A6%8F
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E5%B2%A1%E6%94%BF%E7%94%B7
写真は『太平洋美術会新春小品展』
いだてんロケ現場の諏訪神社斜向かいに戦後引っ越した日本最古の洋画団体太平洋美術会。
黒田清輝をマジで殴った男の会だったりもする熱い伝統があるところ。
結構贅沢な展示。
画家が好きなものを描ける間は良い時代だと信じたい。