熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

柳屋画廊 川端画学校 島崎 蓊助(おうすけ)島崎鶏二

熊谷登久平の遺作展は画学校や画壇仲間が柳屋画廊で開いてくれた。 

(この柳屋画廊は戦前大阪にあった有名な画廊とは別物だろうかなど考え込んでいる。私、基礎教養ないから(T ^ T))

戦前、登久平は林房雄と交流があり、古代ローマの壺を貸してそのまま借りパクされている。登久平と林房雄との接点で考えられるのが同じ時期に川端画学校にいた島崎蓊助と島崎鶏二兄弟。
彼らは島崎藤村の子息。

島崎蓊助が藤村の再婚の時に書いた文書は林房雄が代筆している。
島崎蓊助と林房雄は左翼運動をしており、その頃熊谷登久平も染まってはいたようだ。
その染まりの資料を探しているが、左翼的な文化青年たちの溜まり場的な白山の南天堂で熊谷登久平の個展をやった資料が見つかった程度だ。

島崎兄弟が川端画学校に通っていた頃、サトウハチローも川端画学校に通っている。これはやんちゃなハチローに悩んだ父親の佐藤紅緑が島崎兄弟との良い関わりを望んだから的な文章を読んだことがある。家が川端画学校に近かったし的な。


で、熊谷登久平の人脈は一関の中学、川端画学校、1930年協会、白日会、二科展、独立美術協会などだが、あるはずの中央大学の関係が見当たらない。
卒業しているのは確かめた。

あと、先日独立美術協会の分裂騒ぎの乱闘を名古屋駅か京都駅でもおこしたと聞いたが、資料がない。上野の蕎麦屋での乱闘騒ぎは書籍で見つけている。

つか絨毯爆撃的に本を調べる私のやり方は、今のコロナ禍では本当にやりにくい。


相変わらず私は不器用で図書館にこもって調べないと何もわからない。
あと資料室と図書館の予約制と時間制限が辛い。
予約制は病んでから苦手になり、結構辛い。

http://www.kiryu.co.jp/ohkawamuseum/kikakuten/54-simazaki/index.html

http://w2.avis.ne.jp/~y-kenji/ryakureki.html
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