ツイッターで展覧会の情報が流れたのを読んで、衝動的に谷中バス停から上野公園行きのバスに乗り、電車乗り継いで、阿佐ヶ谷駅南口から渋谷行きのバスに乗り杉並区役所に到着。
これ、ただでいいのだろうか。
参加作家100名以上。
大ベテランから若手まで実力派が描いた武者絵展。
じっくりと鑑賞して売店が終わってしまい寸志の買い物をし損ねてしまった。
酔いました。
杉並区と南相馬市(旧原町市)は、平成17年5月27日に災害時相互援助協定を締結している。
その縁で開催されている相馬野馬追応援の武者絵展。
相馬野馬追は相馬藩の伝統行事。
東日本大震災の時に福島の原発が津波によってトラブルが相次ぎ、爆発したことによって避難した人々がたくさん出たけど、南相馬市長のユーチューブでのSOS発信は世界に向けられていた。
以下、当時の南相馬市長のインタビュー記事。
https://www.minyu-net.com/news/sinsai/sinsai10/syougen/FM20201005-543645.php
相馬野馬追はWikiによると
『馬を追う野馬懸、南相馬市原町区に所在する雲雀ヶ原祭場地において行われる甲冑競馬と神旗争奪戦、街を騎馬武者が行進するお行列などの神事からなる。これらの神事に関しては1952年、国の重要無形民俗文化財に指定されている』
『起源は、鎌倉開府前に、相馬氏の遠祖である平将門が、領内の下総国相馬郡小金原(現在の千葉県松戸市)に野生馬を放し、敵兵に見立てて軍事訓練をした事に始まると言われている。鎌倉幕府成立後はこういった軍事訓練が一切取り締まられたが、この相馬野馬追はあくまで神事という名目でまかり通ったため、脈々と続けられた。公的行事としての傾向が強くなったのは、江戸時代の相馬忠胤による軍制改革と、相馬昌胤による祭典化以降と考えられる。』
という伝統行事で、私が暮らしていた舎人団地にも相馬出身の人がいて相馬野馬追を語り出したら終わらなかった。その人の生家も立ち入り禁止になってしまった。
以下相馬野馬追執行委員会の公式ページより。
『相馬野馬追は、相馬家の祖といわれている「平小次郎将門(たいらのこじろうまさかど)」が、軍事訓練として下総国葛飾郡小金ヶ原(現在の千葉県北西部)に野生の馬を放ち、野馬を敵兵に見立てて捕らえ、捕らえた馬を神前に奉じ妙見の祭礼として行ったのに始まったと言われる、一千有余年の歴史を誇る日本を代表する伝統文化行事であります。
平成23年3月11日に発生した東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故により当地方も大きな被害を受け、相馬野馬追の開催も危ぶまれましたが、全国各地の方々の御支援と関係者各位の努力により、規模を縮小しながらも開催することができ、常磐自動車道が全面開通した平成27年には、震災後初めて観光客数20万人を記録しました。
しかしながら、震災後の相馬野馬追開催にあたっては、震災で破損した施設の修復費用、資材・人件費の高騰による委託費の増加、サービスの向上のための駐車場からの無料シャトルバスの運行など新たな支出が増え、震災以前より開催費用が増加し、収支は赤字状態にあります。震災でも途切れなかった相馬野馬追の歴史を絶やさないためにも、関係者一丸となって努力して参りますので、皆様からの御寄付をお願いいたします』