義父の生家、千厩の日野屋出身の熊谷伊助は江戸に出て成功し、勝海舟と親しくなり、横浜開港のために尽力した。
千厩、横浜開港資料館、片瀬の熊谷家にそれぞれ資料があるけれど情報交換がうまくいってない。
把握ができてないらしいと気がついたのが去年。
たとえば千厩熊谷家に残っている伊助の手紙、千厩では横浜開港資料館の館長の西川先生が控えを持っていると思っているけど、私が確認したらお持ちでなかった。
義父の弟さんの広介さんと西川さんが近しかったのは確かで、西川さんも良く覚えておられたし広介さんがご存命の間は連絡も取り合っていたとのこと。
広介さんは西川さんが千厩を訪ねた時には伊助の手紙の全体を把握してなかったのではないだろうか。
私が去年見た資料は義父の甥、広介さんの次男の英三さんが伊助の資料館を作ろうと計画を始めて改めて把握されたものかもしれない。
西川さんは伊助の手紙を調べ直したいとおっしゃっているけれど、今はコロナ禍。
還暦を過ぎた西川さんが元気なうちにコロナ禍なんとかなって欲しい。
伊助の研究は千厩の村上先生がかなりやってくださっているけど、横浜市にもやって欲しいと私は思う。
コロナ禍が落ち着くのはいつになるのだろう。