熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

承認欲求

父が疾走中に外で作った想定外の子であり、母からしたら独身と騙されて出来てしまっておろせなかった子である私は出生届を出してもらえず、存在しない子どもだったわけで、空襲で多くを無くして没落した母方の親戚でも持て余し、父方の親戚ではめちゃくちゃ持て余した子だったのでしばらく施設に預けられたり、母の体が弱いので親戚に預けられたり。
家庭ごっこの時期もあるが、父は二重生活を続けてストレスがたまり大変だったようだ。
私の出生届は面倒だったようだが、小学校入学に間に合った形で、戸籍にも書かれたくないことが明記されている。
この戸籍を母方では傷のある戸籍と言っていたし、まともな結婚も就職もできないと言われて育ったし、明石に転居したら遠縁の子がバラしてくれて嫌な思いもたくさんした。
戸籍コンプレックスから解放されたいけど、もう呪いと化してて、救いがない。
頑張って勉強と努力をしたら戸籍コンプレックスから解放されるかと思っていたが、出来が悪いとも言われて育ったので足りなくて半世紀、母がよく泣いていた。
母は私が出来たから苦労した人として親戚か
同情されていた。
父は私の出来が悪いことに戸惑っていた。

とかの記憶から解放されたいとよく思う。
出生届が出されてなかった母親の子であると、娘や息子の縁談もひどいのがきてた。
その縁談を断るのも、相手は怒るし。

呪縛的な出生コンプレックスから解放されたいと常に祈っているが、死んでからだろうなと。
婚外子の私の遺骨は無縁になるだろう。
夫には猫の墓に入れて欲しいと懇願している。

ただ、母にも父にも認めて欲しくて私なりには尽くしたが、二人とも正規の婚姻で生まれた兄や弟を大切にしていて、よく三人の兄達に比べ割られた。

それらの記憶から解放されたいと、たまに死にたくなるぐらい、戸籍に書かれている未出生届子の特筆部分が嫌いだ。、