熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

終戦記念日75

うちの裏の墓地には先の戦争で亡くなった方の墓があちこちにあったけど、建て替えや墓じまいで減ってきた。


3月10日の東京大空襲で壊滅的な被害を受けた現墨田区の江東橋一丁目町会の慰霊碑、夫の記憶にある年代によっては慰霊祭的なことをやっていた時期もあるそうだけど、お参りに来る人は減っていき数年前に最後の一人が絶えた。
現地で少し取材をしてみたら最後の方の名前も分かった。
その人は両国の慰霊堂にも毎月通っていたそうで、上野の山にも両国にも、他の慰霊関係施設にも徒歩で通っておられたそうだ。
空襲に遭われた時は思春期で、歳上の仲間たちが慰霊碑に来れなくなっても一人で通っておられたとか。
その方が亡くなってから私は調べ始めたので、何を見たのかは聞けない。
その方がいつも掃除をしてきたから慰霊碑は綺麗に保たれている。

偶然なのか、隣の墓には満州で亡くなられた方が眠る。
辞世の句が刻まれている。
近衛に属されていたので家柄は良かったのだろうし若いのに句が美しい。

繰り返してはいけないと慰霊碑や墓石に願いを刻んだ方々の多くはもう亡くなられている。

戦後50年の頃に空襲と墜落したB-29について私が調べていた時に東京新聞に取材を受けた。
私は「戦前、戦中、戦後」という時代の中で戦後のままであってほしいと答えたが、戦前が近くなってきたように感じるのはおかしいのだろうか。

f:id:TokuheiKumagai:20200815173548j:plain
f:id:TokuheiKumagai:20200815173616j:plain
f:id:TokuheiKumagai:20200815173554j:plain
f:id:TokuheiKumagai:20200815173551j:plain
f:id:TokuheiKumagai:20200815173612j:plain
f:id:TokuheiKumagai:20200815173619j:plain