ヤフオクで落札した書籍に林房雄の年表があり、「昭和7年4月に出獄し、谷中初音町に居を構え、直ちに「青年」の執筆を始める。」と、あった。
この頃、義父の熊谷登久平も谷中初音町に住んでおり、その家に林房雄が訪れて登久平が持っていた古代羅馬のインク壺を見たのだろう。
林房雄は昭和40年代はまだ売れっ子作家で、私の家の本棚にも何冊かと父が持っていた文学全集にも入っていたと記憶があるが、なぜかエッチな本の印象しかない。
昭和20年代にはかなり売れていたようだ。
左側の作家が右翼となったのは生きるためだろうか。
義父が持っていた古代羅馬のインク壺は点の情報だけであったけど、だんだん点が増えてきた。
でも林房雄の資料は今は読むのが結構難しい。
売れっ子だったのに。
台東区の文学資料を調べても林房雄が住んでいたことは私が読んだ中にはなく、どこかにあるのだろうか。
谷根千でやってないかなあ。
会員制の有料歴史サロンがある資料の使用許可を求めてきたけど、先に渡した資料がサイトの私も見られない場所にあるのは私的には不本意で、広く知られる方が良い。
維持するための会費なのはわかっているけど、本を買えば得られる情報であるので、それを会費制の場所にあらためて渡すのは悩む。
日暮里駅にて切符を購入した。
大人の休日倶楽部のカードで買うと5%引き。
違うといえば、羅馬のインク壺の記事に写っている男性の写真は義父じゃない。
誰なんだろう。