熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

相変わらず人間は難しい。ブルーインパルスは美しかった

この人に言葉は通じないと互いに思っている場合はどうしようもないし、殴り合いになっていくのかもしれない。
そういうのが怖いから諦めて逃げるのだが、私は人間関係の構築が下手なので難しい。

今夫にも私のことで嫌だと思うことは先に言って欲しいとお願いをしている。
蓄積されて後からバンバン私の悪行を並べられても対応できない。





今日はブルーインパルスが東京上空を飛んだ。
うちから見えると思ってなかったから、ほぼ上空を飛んだ時は嬉しかった。
技術の鍛錬の結晶が空を飛んでいることへの感動は言葉にするのは難しい。
言葉の難しさは美味しいものを食べた喜びとかも語彙がない。

今日、偶然、早乙女勝元先生が谷中で家を探していた時に案内した人が店においでになった。
早乙女先生から谷中に住みたかったと去年聞いていて、豆腐屋さんたちが案内してくれたとのことだったが昔のことなので、まさか当事者が我が家のお客様とは世の中狭い。




以下夫が撮影したブルーインパルスの写真。




店に来られたお客様と、私は戦跡も調べているので、その雑談をしていたら早乙女先生が台東区に渡してくれた米軍の資料の話が出て、それを受け取った方でもあった。
私が探していた台東区と戦争の冊子を出した方でもあり、今度貸していただけることになった。

戦後75年が経ち、オーラルヒストリー、聞き取りも難しくなった。
聞き取りができた時代の冊子は台東区の図書館にあるものだけではなく、戦後20年から30年ごろの個人誌はブルーコピー(湿式、ジアゾ式)

https://sp.otsuka-shokai.co.jp/media/it-history/chapter002/copy-1.html

なら保存状態が運が良ければ良いけど、
ガリ版刷り
https://www.gariban-archives.com/what-is-gariban/
だと用紙が藁半紙(西洋紙)でホチキス留めだと痛みが結構早く進行する。

https://j-town.net/tokyo/column/allprefcolumn/224588.html?p=all

ある程度の資料は早乙女勝元先生たちの「東京大空襲を記録する会」が収集したけれど、その資料も収蔵庫に入っているものもあるし、簡単に読めない。

https://tokyo-sensai.net/old/concept/index.html

なので、持っている方に会えて喜んだ。

山手線の高架下の戦跡とか今は消えたものも多く、歩いて探しても見つからないことが多い。
例えば、谷中小学校にあったという機銃掃射の跡は旧校舎建て替えとともに消えた。
よみせ通りのノコギリ屋根のリボン工事に向かって落とされた爆弾のことを覚えている人も私は見つけられないでいる。

義父のことを調べてて裏をとりたいと思っても、死後50年経てとても難しい。
熊谷登久平の戦時中を直接覚えている人も、去年は斜向かいの百をこえてお元気だった奥様が亡くなられて、あとは岩手県に義父の従弟が二人だけ。