熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

もう、良いのではないかと思い始めてる。

夫は具合が悪い。
かなり不安になる。
夫のためにも早く成果を出したいが実力がない。


先日ネットで図書館が開いてなければ論文が書けないのは無能的な発言があったが、400枚程度の纏めも出来ない私はなんなんだろうかと煮えている。

素地の違いというものは努力で埋められない。
40年努力した結果が、自分の難病もどき発病と母の認知症に子らの思春期と受験にも金銭的にも精神的にも対応できない中途半端な私で、離婚を招き子どもたちを貧困状態にした。

実家が太い人は親が認知症になっても有料施設に入れられるし、子の受験には我が家の年収より多い金を投入できる。

てか、年表ができないと愚痴った時に(1901年から1968年までの年表が頭に入ってなってバカねってことを言われた時は)恥ずかしかったし、嫌だった。

何故、義父の年表が難しいか伝えようとしたが、彼女は理解してくれなかった。
義父の年表は確かに専門職が作成したものがある。
が、私からみたら合わない。我が家に残っている資料と比べても空欄も多い。
この私から見たら合わないが生意気なわけで、美学を学んでない私が意見するのはおかしいというのが普通の感覚らしく、一昨年からとても疲れた。


長谷川利行のスケッチブックも私が本物だと言っても画廊以外は信じてくれなかった。
写メをつけてメールを送っても、登記簿と戸籍を添付して熊谷登久平の遺族だと証明しても受付で相手にしてくれず、あれもかなり惨めだった。
熊谷登久平を知らない人の方が多いので、この家にある多くの私から見たら美術史の一項目が朽ちてしまう。
最後は昔の職場の上司である近現代の学芸員に泣きついた。

モブ人生は本当に何十年努力してもモブだ。

絵は絵の背景も調べた方が面白いという私の考え方は古いらしく、それも指摘されると凹む。

熊谷登久平の絵が好きだから、ゴミにしたくなくてジタバタしていると金に卑しく取られる。
商業画家の作品が打ち捨てられるのって悲しくないかい。
公共施設に展示されていた絵の多くが行方不明になっていることが悲しいのは変だろうか。

20年前にはそこにあった絵が行方不明なのを沢山知り、結構追うのに疲れた。

うちにあった新聞のスクラップも義父の交友関係がある程度わかる葬式の時の芳名帳も、美学を学んだ学芸員に渡したからもういいのかなと思う。

可愛らしい猫たちの墓で眠りたいと願うですよ。
熊谷家の墓には申し訳なくて入りたくないです。
つか猫たちが毎年複数虹の橋を渡って行くので、もう辛くて。
辛いのは私だけじゃないと言われも慣れない。