熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

相変わらず写真と睨めっこ

義父が中央大学時代に陸上部の応援団長をやっていたと二科展で賞を取った時の新聞記事にあり、義父の関係者たちの手記などにもある。
だが、中央大学応援団の歴史の中に大正時代はない。
新聞記事に中央大学時代に商業美術の研究会、部活?、サークルのパレットを立ち上げたとあるが、中央大学の美術部も義父よりずっと後に入学し、のちに有名な画商となった方が元祖となっている。
義父の時代、中央大学には野球部がなく、野球部がない大学のメンバーが集まって野球サークルを作り、その応援的な写真もあるが大学野球が盛り上がっていた1924年の写真もあり、そのメンバーの中に学帽をかぶった人がいる。
その前の5人の集合写真の中にも学帽の人がいるけど、今の中央大学の応援団が使っている学帽とは形が違う。学帽のマークも違う。
違うので大正時代の中央大学生たちの写真を探したけど、学帽写真が中々なく、中央大学に問い合わせたら義父の三学年先輩の写真を教えて頂けた。
同じ角帽ってのかな、マークも同じだと思う。

結構嬉しい。

あとは長谷川利行と思われる写真とか見て悩んで、仲良くしている人たちは誰だろうとか、この集合写真には画壇があるみたいなあとか、睨めっこしては現実逃避に入る。