熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

足立区は文化的でないと人は揶揄するが

足立区や葛飾区、江戸川区城東区として小馬鹿にされているけど文化財収蔵庫を地下に作るようなことはしてない。

例えば私が勤めていた足立区立郷土博物館は低地にある。
足立区に高地を求めるのは無理な相談で、氾濫記録があちこちにありまくりで、公園にこんもりした小山があるけどあれは土手滑り用ではなく、いざとなったら土嚢袋に詰めるためのものだった。
とかの記録を調べたりする風土記編纂室に私はいた。

その足立区立郷土博物館は中川の近くにあり、日本一汚いと言われた綾瀬川や水路やら氾濫する気満々の場所にある。
建築計画をしたのは古庄区長で足立区の古い家の方だったから氾濫も経験してて収蔵庫は二階と三階にある。
古庄さんは箱物区長と言われたし、図書館の司書を一人にしてあとはパートで補う足立区方式を始めた人だし、博物館の案内ボランティアも足立区が都内では元祖的な感じだけど。

古庄さんは足立区が東京市編入された時に電気が24時間使えるようになったこととか話しておられ、文化的生活が大東京市編入されたことによって叶った原体験が大きかったのか、文化的なことが好きで、図書館を次々と作り、入浴施設のある老人館をあちこちに作り、土俵もあちこちに作っていた。

あと、洪水が本当に嫌だったようで昭和の終わりには上下水道の下水システムを雨水と汚水で分けた。
これは汚水の逆流を防ぐためでもあり、私が住んでいた足立区西北部、草加市川口市の境目で氾濫が起きてボートが出たときも汚水は流出してこなかったから住んでいた人たちも助かっていた。
この下水システムは台東区墨田区は中途半端だ。


足立区、以前は高射砲部隊の用地だったり、農地だった場所も住宅地になっているが低地だ。
でも治水事業は常にやっており、最近では毛長川の土手を改修している。

ムサコとかカッコよくして低地にタワマン建てて地下にミュージアムの収蔵庫を作る市よりも、貧乏区と言われながら防災訓練をやり、給食を美味しくし、まあ私は介護離職をしてからは足立区の冷たい行政に泣きましたけどね。
でも土木の予算を組んでるのは偉いと思うわ。


台東区に住んでから非常食品の備蓄庫がどこにあるのか、具体的どこに逃げれば良いのかの広報に触れる機会が少ない。
狭い台東区とはいえ、全員上野公園と谷中界隈に避難とか大丈夫なんだろうかと思う。
山手線から東側の人たちどうやって上野公園まで来るのだろう。
前も書いたけど、墨田区江戸川区葛飾区も水が出たら最終避難先が上野公園と谷中界隈だ。
これ、どれぐらいの人が知っているのだろう。


団地だらけの足立区は団地も避難先に指定されている。
団地も直上避難先だ。

まあ、毎度ダラダラ書いてますが、学芸員の資格持ちがきちんと公務員であるのは大事だと思う。
足立区の昭和の終わりの佐々木教育委員長は偉かった。
と、佐々木教育委員長から仕事を褒められて木に登った私は呟いてみる。

でもどこもかしこも文化予算削ってるから足立区の学芸員も雑用をしている。
図書館の司書、博物館などの学芸員は専門的なことをしてたら良いように戻らないのかな。
国立の図書大学が無くなった頃に既に現在の日本的文化大革命の序章が始まっていたのかな。


あー足立区の貧乏人の子の教育関係の予算はほぼなかったわ。うちの子は見捨てられた層だと思う。
今は無料塾とかやってるけど、これも大学生が多く住む地域だけだし。
私が育児をした場所は世帯収入の低い地域で、最近足立区が試験的に朝食をたまに出すようになった学区だけど、子ども食堂は空白地域ね。