銀座の老舗さんの資料室で義父、熊谷登久平を支えた10以上歳上の内縁の妻だった熊谷絹子さんこと、横江政恵こと、源氏名よし江が女給長だったというカフェのサロン春の内部の写真を見させて頂いた。
我が家に残るサロン春のクリスマスの記念写真のカウンターと同じような内装の写真があった。
ほぼ間違いないだろう。
クリスマスの写真の中の黒いドレスの女性が政恵だ。
義父の従兄の記憶の彼女は上野の美術館で仕事をしていたが、それは多分義父が1930年展に参加して二科展に入選し、白日会や独立美術協会の常連化を果たしてからだろう。
彼女が入院していることが新聞記事に載ったりした頃、博物館で働くようになったのかもしれない。
高見順が選んだ色んな作家や文化人の銀座についての随筆などを集めた「銀座」という書籍の中に対談がある。
その中に女給だった女性が上野の博物館だか美術館だかで働いている例があげられていたうろ覚え。
女給の成功例は良い家の奥様、男爵夫人になったとか、お店を旦那さんと始めたとか、上海に行って成功したとかの中の美術館で働いてる元女給の例。
相変わらず想像するしかないけど、社交的な義父を支えた社交的な美しい女性。
義父の甥の英三さんを養子に迎えて妻として全うする筈だった女性のことも、できる限り私は追いたいと思っているけど、できるだろうか。
面白かったのが、そこのコレクションの中に矢野文夫さんに似た写真があったこと。
矢野文夫氏は雑誌社を経営していたので、その縁かもしれない。
矢野氏に似ているだけの誰かかもしれない。