熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

真贋不明だけど、長谷川利行の親友の矢野文夫氏の絵がヤフオクに出ていた。


ヤフオク長谷川利行の親友であり、伴侶と自称しておられた矢野文夫氏の絵が出ていた。
額縁で素人判断をすると、昭和40年代以降の作品だけど本物かどうかはわからない。
一関博物館に展示されている作品と画風はにているけど、贋作騒動の作品も延々と観ている二年間なので、似たようなの描ける人は沢山いるのも知っているつもりだ。

つか私が若い頃は手頃な価格で買える名画のレプリカ画家もいたし、数年前に最後は竹ノ塚の1店舗となり破産したトップアートさんには学生時代から出入りしていた。
https://www.fukeiki.com/2016/11/topart.html
上手な人は本当に上手だが彼らは著作権が切れた作品の模写を専門としていたけど、今はプリンターの技術の発達で仕事はないだろうな。

あと戦前は渡航したら美術館で洋画を模写してくる約束でお金を先払いしてもらい費用にあてた若手画家もいたと聞く。

うまい贋作は巧かろう。

義父と矢野文夫氏が長谷川利行の死後のそれぞれの生き方で喧嘩をしたのは義父の従兄弟から聞いた。
矢野氏が長谷川利行で商売をしているのが義父には不満だったようだが、真相はもうわからない。
以前も書いたが長谷川利行の伴侶を名乗り、彼の作品をプロデュースすることをメインとした矢野氏には野望はなかったのか、自己表現への願望はなかったのかが私には不思議だ。
フランス文学をやり、翻訳の表現がある程度評価されていたのに長谷川利行伝を何回も書き直して出し続けている。
惡の華も改訂を繰り返しているが、長谷川利行関係の方が多い。
まあ、売れるのならそうするのが出版業界人でもあるけど新しいものへの欲はなかったのだろうか。
ポーの一族パタリロなどの少女漫画でマザーグースのクックロビンが流行った頃にクックロビンをテーマにした書籍も出しておられるが、その頃狂ったようにマザーグースを読んでいた私の記憶に矢野氏の本はない。
題名は記憶あるが、たぶんパラパラ見て買わなかったと思う。
購読していたなら私の本棚のマザーグース関連の場所にあったはずだが数年前に処分した中にも無かった。

あと、ムー系の書籍も翻訳出版されているが、ムーでブームが来た時に特集の中で取り上げられていた記憶もない。
画家としての活動の資料を探しているが、長谷川利行関係の活躍が目立つので、画壇との付き合いも目立たないし個展はいくつか見つけたが、展覧会にはあまり参加してないのかな。
食えてれば自己顕示欲も低くなるだろうし。


画家としても一関市は矢野氏の作品の寄贈は受け付けたが、同じ頃に義母が寄贈を申し出た時には市長が毛筆でやんわり断りを入れている。
矢野氏の絵が持ってて義父の絵にはないものは何だったのだろう。
義父は一関中学時代の友人たちと老いても遊んでいたので、矢野氏のストイックさで見劣りをしたのか?
私が見た限りでは氏の作品は動きがない。
静なのか。
義父の絵は熟した大人の臭いがなく、好きで描く子どもが旨くなったままで熟成する前に亡くなったような気もする。
老いて下の子、つまり次男である寿郎を授かり、絵を売る気になってから画風が変化し、下谷警察署にあるスフィンクスあたりで悟った感じなので惜しいなと思う。
ピアノの絵は第一子が授かった喜びに満ちていて、これどこかの博物館が引き取ってくれないかな。
第一子の久の頃は会社役員もしてて収入は充分あり、その子が大学を卒業するまでの費用の心配もしてなかったらしいが、第二子の寿郎の時は多少心配をして、今まで断り続けていた企画画廊の三越本店の話を受け入れたと夫は義母から聞いている。
その点矢野氏は若いうちに子宝を得てて余裕があるから絵が静かなのかな。

矢野氏の画集は一関市が出しているものがあるらしいけど、入手が結構大変かもな気もする。
一関市の若い公務員さんに、一関市には有名な画家が沢山いますから(だから熊谷登久平は無名なんですよ)的な説明も受けたけど、矢野氏を推すなら徹底的にやって総括的な故郷画集も一関市には作って欲しいわ。
作品結構あるんだし。