熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

母の従弟の川上景也さん

幼い頃、避暑地は岐阜県多治見か愛知県犬山、または恵那だったんだと人に言うと多治見で避暑と驚かれるけど、森林公園的所に温水プールがあり、母の叔父さんが定年退職後にそこの管理人をしており、遊びに行った。
平屋にはウズラの小屋があり、遊んだりしていたし、プールは気持ちよかった。
そこにはお兄さんもいて、先日当時のお兄さんこと、川上景也さんに会ってきた。
景也さんは絵を勉強してて、私が物事がわかるようになった頃は画家だった。
母の実家に景也さんの作品があり、私はよく見ていたので独立美術協会の初期メンバーの絵をよく見るようになった最近、配色が似ている気がしてほこりまみれにしてる従姉に譲って欲しいと頼んでいたら、私があれこれ調べた結果や、私が欲しがることで良いものかもしれないと思った従姉が、景也さんに裏書きを頼んだ段階で「やっぱりうちに置いておく」と言い出し、大げんかをしながら景也さん宅に向かったという先日。
不機嫌な顔でおうかがいしてしまい恥ずかしかったけど、私はあの赤い薔薇の作品が欲しかったし、祖母や叔父が亡くなってから飾ってないのだからとか、画壇の作品に対して鑑定団の知識で話してこられて、あれは美術年鑑の価格で、実売価格じゃないとか説明してても疲れていた。
日展によく連れていってもらったのは女子美に入る予定のまま連合国と開戦となり夢破れ亡くなった叔母や、景也さんがいたからなのにと怒ってしまった。

で、喧嘩したまま訪れた景也さん宅は上質なテレビン油の香りがした。


景也さんは若い頃に岐阜出身の熊谷守一先生とも交流があり、また義父の葬式の芳名帳に名があった #張替正次 さんとはよく飲んでいたそうで、当時の画家の世界を話してくれた。
https://blog.goo.ne.jp/hachigoro_002/e/23b0505c9a1fd3c90c5956843eb2b4a2

画家は楽な仕事ではないから、描きたいものが売れるとは限らず、景也さんもお子さんが手を離れるまでは売れるものを意識して、教える仕事もやりながら絵を描くことを続けて、今は好きな絵が描ける。
楽しそうでした。

母の実家は従弟の代で途絶えるけど、景也さんのお子さんたちは健やかに育ってらして、お誕生日には画材を送ってくれることもあるそう。
私が知らないメーカーの色インクがありおたずねしたところ、息子さんが見つけた良い発色のものでした。