熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

東京航空計器株式会社

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東京航空計器さんから電話があり、義父の名が昭和19年の資料から見つかったそうだ。

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東京航空計器で父親が働いていたという夫の記憶に間違いがなく、多くの資料の記述も多分あっていそうでホッとした。

 

あっていそうでと書いたのは、東京航空計器から見つかったの義父の名前が入った書類は昭和19年のものだけで、義父が家族に自慢をし、お弟子さんたちも褒めていたという自称開発を進めた「ニュースター」の記録も見つかっていないし、他の書類にも義父の名は出てこなかったそうだ。

それでも一枚でも書類が見つかったのは有難いことで、調べてくださった東京航空計器の人たちは大変だったと思う。

ありがとうございます。

 

 

そして義父が東京航空計器の部長や副社長、監査の役付きになっていたという記述の初出はどこと思いながら、電話一本でやりにくくなったなと私は半グレ状態になっている。

夫は相変わらず電話をしたのは誰だと不機嫌だ。

 

国会図書館にある政財界関係冊子を調べるしかないな。

新聞社のデータベースも私は使えないし。

 

 

 

この辺の調査が得意なのは文藝春秋で連載を持っていた仙台の親友なんだが、彼女はご両親の在宅介護で自分自身の体調も悪くしている。彼女が倒れて入院もしたがご両親が心配でさっさと退院をした。

 

美人で東北のお姫様の血を引く学習院出の彼女は私にとって憧れでもあったのに仙台は介護認定の基準が厳しいらしく、金があっても車椅子で頑固なドクター夫妻は受け入れ先が限られるようだ。

おじさん海兵なのに、高齢になったら足腰が弱ってしまった。

 

県の医学会の元理事とか医局の偉い人だったとかは東日本大震災による要介護者流入によって、介護関係予算が厳しくなっている仙台には通じない。

私は在宅介護時代、思春期の子どもと、ママ友たちが助けてくれたけど、キャリアウーマンであった彼女はかなり抱え込んでいる。

たまに彼女が先にポックリいくんじゃないかと心配になる。

介護保険制度は子が同居している家だと、子が介護をする前提だから辛い。

 

この自然災害による人口集中は、自然災害が多い日本ではこれからも、あちらこちらで起きるだろうな。

被災者の流入自治体が予測していた高齢化のスピードが加速し施設も人手も足りなくなる場合もあるだろう。 

とか東京都のハザードマップを見てて思ったりすることもある。

 

 

 


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