岩手県の千厩図書館に思い切って電話をしてみた。
千厩図書館のネット上の説明に熊谷登久平関連のものも集めていると意訳できる文言があったからだ。
唐突だったのに丁寧に電話対応をしてくださってホッとしたし助かった。
夫は熊谷登久平の次男だが、私が彼が熟年結婚をした相手であり、電話で証明するのは難しい。
あちこちに問い合わせて、結構面倒になり諦める時もある。
今回は千厩駅から図書館が徒歩30分弱なこと、私がネットで調べたとおり暑いときは暑いこと、エアコンのある宿のことなど蔵書に関係ない質問まで教えてくださった。
千厩小学校は義父が通った場所から移動したとか、義父の先祖の資料があることなども教えて下さりホッとした。
今はこういった問い合わせに対して、キーワードが図書館のパソコンの画面に出ないと弾かれるケースが多く、博物館の発行物に書かれていることを調べるのに四苦八苦してて、もう嫌だ気分だったのでホッとした。
私も美術館の資料をネットで検索して出てこないとかあり過ぎで、夫の記憶にある生前は先生と呼ばれ売れていた義父像が幻のような。
長谷川利行関係の書籍だと、彼が友人たちと集まってやっていた画会に義父は含まれていない。
ところが義父のエッセイには仲間だったと書かれている。その不思議。
また、義父の経歴に東京航空計器で役員をやっていたとあり、東京航空計器に問い合わせたが過去の記録にはないとの返答だった。
戸籍名でも調べてもらったがないと言う。
我が家には東京航空計器から贈られた勤続記念のお祝いのアルバムがあり、そこには義父の名が書かれているけど、航空計器側はないと。
東京航空計器の花が写っている義父のお葬式の写真もあると話したが、取りつく島もなかった。
大元に無いと言い切られると、新聞記事や博物館や独立美術協会が書いている内容が間違えていることになる。
詐称になるかな。
義父山形に行っていた理由が航空計器の疎開先を探して書いてある資料もあるけど、秘書課からは在籍した資料がないと。
謎の地図。
描いたのはどなただろう。
平社員としての記録もないそうだ。
なので熊谷登久平が東京航空計器の役員だったと書かれた初出を探し回っている。
義父が亡くなった時の高級官僚たちの文集にも東京航空計器のこと、書かれているんだよね。