我が家から北区の旧古河庭園に行くには、上野台地の尾根を自転車で走り、荒川区経由で、降りて、開成学園の下の坂を登り、赤羽台地の尾根を走り。北区に入ります。
田端は北区にあり、芥川龍之介たち文士が多く住んでいたので文士村と呼ばれています。
台地は鉄道のために切り崩されて、山手線に沿って崖があります。
その崖っぷちに薄いホテルを建設中の勇者がいました。
崖っぷちを工夫しているの分かりますか?
私は日本人の土地に対する過激なまでの欲望を感じました。
昔は山の上は武士か寺社が幕府に許されて居住できました。
格式の低い寺や武士は低めの所が与えられます。
江戸が繁栄して人口が増え、出世する文系武士も増えてから低地にも武家屋敷ができますが、大名は下屋敷上屋敷などを所有し、多少城から遠くても高台に隠居が住む下屋敷を作ることが多かったようですが、私は素人なのできちんと調べていません。
外様大名の屋敷は譜代やら幕臣に囲まれていたりして面白いです。
崖っぷちを山手の高台として造成した会社は勇者だと思う。
#いだてん の若き志ん生が悩んだらする神社のロケ地は荒川区の高台にある #諏訪神社 で、我が家や谷中の住民は氏子です。
谷根千の根津千駄木の人たちは根津神社の氏子で、町内会同士はあまり付き合いがなかったりします。
#大江戸今昔めぐり というアプリは楽しいのでお勧めします。
多分これからもおススメします。
ここから我が家の花とかです。
ここまで谷中の我が家。
池之端にある洋館。
下は岩崎邸の門の中。
多分芍薬。
角度を変えると古い高層住宅。
同じ芍薬を角度を変えて撮影。
ここまで岩崎邸の門の中。
年金事務所にある花。
名は知りません。