熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

交友関係

JUNEの元編集長の佐川さん

若い頃お世話になっていた小説JUNEの元編集長の佐川さんと、友人で佐川さんの後輩になるひかわ玲子さん宅に遊びに行き、昔の同人話やらあれこれ盛り上がって帰宅した。 私らみな若かったのに今はアラ還で、共通の知り合いが沢山死んでしまってて、ひかわさん…

我が愛する川口にて

ママ友と川口駅で待ち合わせをしていたけど、赤羽駅で豪雨にあいホームドアにエラーが出て足止めをくらう。 都民が埼玉県に入るのを拒否するような雨。 友人からは川口駅前でなんかロケしているとLINEきた。 昔、相棒の伝書鳩を使った話でも使われていた川口…

JUNEとOUTのメモ

元JUNE編集長の佐川さんと創刊当時の話をした時に、参考にした中に月刊OUTもあったって出て、元OUT編集長の大徳さんにそれを伝えたのも懐かしい思い出。 私たちはパソコン通信老人会どころか、手書き葉書老人会なので既に多くが墓の中。 OUTはまだ語られるが…

旅に出たい

家が辛い、トイレに入ると明智抄さんを思い出すし、ウォシュレットが形見だから。台所に立ち包丁を見ると明智さんの不器用な包丁捌きを思い出して泣けるし、彼女が記念に持ち帰った下谷警察署からもらったシャモジと同じモノを見て泣けるし、階段を見ると泣…

トイレの花子さん 明智抄の思い出

明智さんのコミックスに「図説オカルト恋愛辞典」てのがある。 それには明智さんから明子さん萌子さんことM子さんである私に捧げられた作品も入っている。 明智さんと私との出会いは今考えると非常識なもので当時の月刊誌アウトに漫研の募集ハガキが載った。…

何度も書き直しても上手く書けない。 明智抄さんの訃報がでた

9日に明智抄公式ファンクラブの伊藤さんが死去を公開した。 訃報が届いてからもご遺族の希望により皆黙っていた。明智さんが死んだ。我が家のウォシュレットは明智抄さんからの贈り物で、それが彼女の形見になってしまった。 我が家の小さな中庭を彼女と開墾…

訃報があった

仏さまが窓に映ると何かあるから気になっていたけど、訃報があった。 今回の仏さまは窶れた感じで気になっていた。 顔見知りの人だし拝まれた人だからお出ましになられたのか。私はしばらくは落ち込むと思う。

山梨から東京に帰る。山梨の葡萄はこれからだった。

山梨で学生時代からの同人仲間の後藤修一さんの三回忌に参列。 横浜の良い家の息子さんだった後藤さんの母方の祖父母たちは横浜空襲で亡くなり、その話の時は激しい怒りを見せる人だった。 美少年時代に三島由紀夫に可愛がられた人で、その縁で三島由紀夫関…

懐かしの飯田橋さん、後藤修一さん、Odessaさん。日本人で唯一の公安でナチスに分類されていた人。

高校生時代の同人誌仲間をひっそりと偲ぶ。そのメンバーに三島由紀夫関係の人がいて、あたりまえのように林房雄先生をよく知る最後の世代。亡くなった同人仲間は三島由紀夫に可愛がられていた美少年だったから繋がりはあるだろうなと思ってはいた。

戦後50年の頃に随分とお世話になった郷司正巳さん。

カメラマンの郷司正巳さんが亡くなっていた。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%83%B7%E5%8F%B8%E6%AD%A3%E5%B7%B3今日空襲関係の資料を探しに墨田区に行き知った。 最後にお会いした頃は英語を勉強しててベトナムに通っていた。 私より9歳上で戦争を知ら…

あの大川平三郎ですか? えっおとーさんは戦前の技術史に出てくるあの方ですか? そして貴方さまも経済史に名が刻まれていますよね。覚えてますよ。

あー、雑談をしていた戦前生まれの方のおとーさんが大川平三郎さんの片腕として有名な方でした。 ご本人も経済界で有名な方で、ダイエーの中山社長のお兄さんのことを聞くならこの方になる。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E5%B9%B3%E4…

谷中に住んでいた画家の1人宮崎精一さん

義父、熊谷登久平と戦前から交流があったはずの宮崎精一さんの記録を探し回って2冊目を入手。 今は図書館と資料室が開いてないのでキーワードで片っ端から探して、何冊が購入し、当たりであれば熊谷登久平の年表の空欄が一つ埋まる。 今回は当たり。 熊本に…