熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

神輿蔵

 

今日は町会の神輿の点検だった。

夫曰く、台東区下谷神社から祭りが始まり毎週祭りがあり、私たちの氏神さまの諏方神社で終わるとのこと。

(諏方神社は荒川区)

 

神輿蔵には前の神輿の大改修の時の寄進者の名がある。

その中には義兄をはじめ故人の名がずらりと並ぶ。

今日が通夜の義兄の幼馴染の名もあり、見送り続けた夫はこの人もこの人もいないと思ってしまうと話していた。

神輿は町会の誇りで氏子の中では2番目に大きく、銅葺きはうちのだけだと夫は言う。

町会によっては空襲で失われてそのままの所もあり、そういうところは神輿を持ってるところがまわる。

うちは神輿を出せる町会ではあるが担ぎ手は少子高齢化で足らず、担ぎ手の助っ人をお願いしている。

 

 

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ジオンさん(仮名)の戦争

今日は東大の五月祭だけど、本郷の方から音が流れてこない。

午前雨だったから野外ステージはなかったのかなと夫と雑談。

 

夫の同級生のシャア・アズナブルさんのお父様のジオンさん(仮名)は旧浅草区の精華小学校生時代、同級生たちの八割が学童疎開に参加する中、浅草区に残り東京大空襲を経験。

学童疎開で(本人たちは)助かった同級生たちはジオンさん(仮名)は空襲で死んだと思い込んでいた。

ところが戦後30年の同窓会にひょっこり現れて大騒ぎになり、それを早乙女先生が取材してのちに改めて空襲中のことなどを取材となっていたのがジオンさん(仮名)が亡くなり叶わなかったとのこと。

なお、ジオンさん(仮名)の小学校の先輩が夏目漱石先生であったりする。

 

今は夏目漱石学び始めの碑が残るだけの台東区立精華小学校跡。

東京大空襲時何があったのか。

証言はいくつか読んだ覚えはある。

校舎は避難した人たちのバケツリレーなどの防火がうまくいき焼け残ったが、近所の防火アパートの地下室は鉄扉が溶けて中の人たちは蒸し焼きだったとか、そういう話しは残っていた記憶だ。

 

ジオンさん(仮名)が東京大空襲の日に何を体験したのか、それを聞いた早乙女先生が改めて取材を申し込んだほどの具体的な何かはもうわからない。

 



徳川幕府が造成した巨大な人口都市は地方から労働力を吸い上げ、その第二の故郷となり、人々はそこで子を産み、育て、そして死んでいった。

 

あっ、セーラー服が好きで上野中学に越境してきた某氏のお父様は戦争中医学生で浅草区からあの言問橋を渡って向島区に逃げることができた人だった。

 

夫曰く、品川のシャア・アズナブルさんは勉強ができて、ミュンヘンオリンピックで大ブレイクしていた上野中学のバレーボール部で活躍し、背も高く、顔も良く、モテてて、進学先も良かった。

とのことです。

 

他にも仮面ライダー1号が夫の同級生にいて、一緒に後楽園遊園地の仮面ライダーショーに行った時に舞台に乱入して見事な殺陣を披露して子どもたちから大声援だったそうだ。

 

 

 

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恥ずかしながら 孫もいるおばあちゃんです。

一昨日、電話で東京新聞下町支局さんから取材を受け、写真を撮りたいと言われましたが上野動物園の双子パンダの抽選に当たっていたので話しを中断して上野動物園へ。

もう少し話しと写真を撮りたい記者さんと上野動物園で待ち合わせとなりました。

シャンシャンを観てから慰霊碑に手を合わせ、動物園を2時間ほど散策したあと記者さんと合流。

私が動物園慰霊碑の前で記者さんと話している間、友人はシャンシャン撮影できるよ待ち列に並びシャンシャンの写真を撮ってきてくれました。

感謝。

 

上野動物園は予約制で、入場予約だと最初にシャンシャンを歩きながら観るコースから始まり、シャンシャンの写真を撮影したい人は平日でも1時間以上並ぶ。

また双子パンダは完全予約制でこちらが当たると双子パンダとお母さんパンダに会えます。

 

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/177043?rct=t_news

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↓シャンシャン 撮影主婦友

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今日の谷中のヒマラヤ杉
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うちの裏の東京大空襲の碑


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半径4キロの中での幸せ

私が育った明石市魚住町の村。

魚住中学まで旧街道を自転車で4キロほど走って着く。

その間に長い坂があり登り、下り、また坂を登って天辺が魚住中学だった。

喘息持ちには辛い通学だった。

田畑と山と沢山の溜池と集落ごとの神社と寺しかない面白くない通学路だった。空気が良いと父が選んだ村だが閉鎖的で人間関係が辛いことばかりだったので、まず神戸の高校に逃げて、東京の学校に逃げた。

神戸の高校の周囲には遺跡が多くあり、檀家制度に縛られてない神社仏閣があり、徒歩圏内の須磨離宮に至道の高級住宅街の建築も楽しめた。ふらりと行ける水族館も好きだった。

 

で、今は半径4キロで皇居があり、徒歩圏内に上野公園があり、武家屋敷ゆかりのあれこれもあり、夫が通っていた上野中学は寛永寺の中にあり、上野動物園もトーハクもカハクも都美も帝国図書館も西洋美術館もオーケストラの演奏がある文化会館もあって、なんという幸せだと。

魚住中学時代に神戸の湊川にバレーを観に行ったと話したら「ええかっこしい」。

親戚に画家がいると話しても嘘つき呼ばわりされれる。

あの閉塞感はとても嫌だった。

 

一昨日と昨日は文京区の主婦友と旧古河庭園上野動物園を堪能した。

友人は昨日が誕生日で双子パンダの抽選に当たり良い誕生日となった。

彼女と上野動物園に行くときは慰霊碑で一緒に手を合わせる。

戦時中に犠牲になった動物たちもそこに祀られている。

私たちは『かわいそうなぞう』を読んだ世代なのだが、のちにこの話の問題点も話題になった。

詳しくは書かないが丁度私が上京した頃に『そして、トンキーもしんだ』という話が刊行された。

戦争を書くのはとても難しい。

友人と上野動物園に行くときは30年前に戦時中の取材をした時の色々を毎度愚痴るが、手を合わせて戦争を繰り返してはいけないと願うのは今も変わらない。

 

私が育った明石の村も機銃掃射で複数の犠牲者が出た。 

明石の市街地の空襲は良く報道されていたが田園地帯の空襲被害は話題にならなかった。

今はどうなんだろう。

 

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早乙女勝元先生の訃報

早乙女勝元先生の訃報が流れた。

先生とは1992年、足立区の舎人図書館で非常勤をしていた時に出会った。

先生は『ベトナム“200万人”餓死の記録―1945年日本占領下で』の執筆準備中で戦時下の日本国内の外米のことを調べようとされていたので、私は戦時中の日記を方々の図書館に求めてざっと軽く読み、外米の記述があるものをピックアップして栞をはさみお渡しした。

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この本の後書きに私の名、仲村明子がある。

 

これをきっかけに先生と雑談を交わすようになり、私は当時調べていた足立区舎人から入谷におちたB-29について先生に質問をしたところ面白がり、私に東京大空襲の記録5巻揃いを買ってくださり、また国会図書館の憲政資料室への紹介状も書いてくださった。

そして読売新聞の記者の斉藤さんに連絡をしてくださり、それまでコツコツと聞き取りをしていたことが読売新聞の記事になった。

それが縁で星条旗新聞や朝日イブニングの記者と繋がり、星条旗新聞のベテラン記者によって書かれた記事と読売新聞の英字版デイリー読売、朝日イブニングの記事と手紙を同封して、アメリカンセンターで調べたB-29の戦友会に片っ端から送り、一番最初に届いた手紙がロイハップ・ハロランからのものだった。

ハロランは捕虜として東京大空襲を経験し、上野動物園の虎のオリに全裸入れられた。

 

このハロランのことは私も記事にしたが、早乙女先生も一冊の本に纏めておられる。

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この本の中にも私は出ていて、離婚後なので早乙女先生は私のことをNさんと書いておられる。

また私との出会いのエピソードも書いてある。

 

この本を出すための資料も私は提供したが、打ち合わせ場所は竹の塚西口にあったエリカという喫茶店だった。

ここで定時制高校生だった娘がウエイトレスのバイトをしていて常連だった早乙女先生に挨拶をしたところ、幼女だった娘が大きくなったと驚かれたそうだ。

 

 

 

 

プロ作家になることをすすめてくださったのも早乙女先生だった。

明智抄さんと早乙女先生が応援してくださり、先生の取材に同行させていただく中でノンフィクションのノウハウを学ばせてくださったし、エッセイで賞を得たときとても喜んでくださった。

 

 

お庭にはアンネフランクのバラが咲き、その花束を頂いたこともある。

奥様が緑の指を持ち、挿木から増やしたアンネの薔薇だった。

 

仲の良いご夫妻だった。

 

先生は今頃天国で奥様のいれたお茶を飲んでおられるだろうか。

奥様のいれてくださるお茶は美味しかった。

あといれかたも綺麗だった。

 

最後にお会いしたのは2019年の秋だった。

アメリカ人の研究者さんから早乙女先生に会いたいと連絡があり間に入って調整し、足立区舎人の華屋与兵衛でお話しした。

最後に話したのは去年の3月10日ごろだったか。

東京新聞の下町支局の取材を受けて我が家の裏の東京大空襲慰霊碑のことを話したことなど。

また早乙女先生は谷中に住みたくて真島町などで土地を探された。

その時一緒に周ったのは台東区共産党区議の茂木さんだったそうだ。

その茂木さんは東京大空襲の慰霊碑の調査をされていたグループの1人であったが、我が家の裏の慰霊碑は調査にもれていた。

茂木さんは我が家のお客さまでもあるので東京大空襲の慰霊碑調査の時の話や、早乙女先生宅での思い出なども話し、それをまた早乙女先生に話すと懐かしまれていたが、もうコロナ禍で落ち着いたら会う話しのまま、訃報が流れた。

 

戦記雑誌の丸から連載の話しを頂いた時に先生に相談をしたら東京大空襲を記録する会と丸は良い関係だった話しをしてくださり、受けなさいと言ってくださった。

丸の編集さんと竹ノ塚のエリカでお会いしたこともある。

記事に残すことの大事さを沢山教えてくださった。ありがとうございます。

 

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

尿管結石 

 

ギックリ腰だと思い込んでいた尿管結石は痛い時は激しく痛いし血尿も出る。

 

お医者さんから色々質問されたが、昔は締切や移動が多い取材を抱えていたので血尿は珍しくなく、母の在宅介護時もたまにやっていたので久しぶり的な感覚で、あと婦人病も持っていたからトイレで血を見ても摘出した卵巣跡周辺の具合が悪いのかな的な。

 

普段診察を受けていた病院がコロナ禍で体制が変わり痛みに詳しい先生が移動し内科の先生がメインとなり、腰が痛いに対して痛み止めの処方で終わるようになったのも運が悪いかな的な。

ギックリ腰も、腰椎が謎菌に喰われた時もかなり痛いものだったが、腰椎の時は敗血症も併発して高熱が続いたが、ギックリ腰は熱が出ない的な判断かな。

血尿も膀胱炎の時は熱が出るけど、今回は熱が出てないので卵巣辺りで膀胱とか関係ないかな的な。

コロナ禍で診察を受けるタイミングを逃した的な。

 

↓白いのが結石

 

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品川在住のシャア・アズナブルさんは銀座線で通勤してる

 

夫の同級生で旧浅草区生まれ育ちなのに旧下谷区の上野中学校に通ったシャア・アズナブルさんが、銀座線で通勤途中にケムール人そっくりなゼットン星人を見かけたらしい。スーツ姿だったそうだ。

昔、上野中学は進学校で上野中学→上野高校東京大学・東京藝大・教育大学・お茶の水女子大学がこの辺では親孝行と呼ばれていたそうで、義兄の時代の上野中学は越境入学組が沢山いたそうだ。

夫の時代は夫曰くそうでもなくて、上野中学の女子の制服がセーラー服だから越境組がいたと夫はいう。

 

セーラー服がお好きなシャア・アズナブルさんはちょっと嫌かも。

 

追記

 

夫にシャア・アズナブルさんから通信が入り、「セーラー服が好きなのは私ではない」とのこと。

 

つまり、上野中学にはセーラー服が好きな越境の人がいたんだね。

 

ゼットン星人参考画素

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シャア・アズナブルさんが好むスタイルかも知れない。

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↓上野中学標準服

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シャア・アズナブルさんから我が夫に届いたお歳暮から

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