熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

旧古河庭園に薔薇と紅葉を見に、チャリでいった。#鳥人戦隊ジェットマン を偲ぶ。

陸奥宗光邸だったけど、古河さんちが譲り受けたという旧古河庭園は和洋折衷の庭が素晴らしく、五月にも真夏ですかという気温の中薔薇を楽しんできたけど、冬の薔薇というロマンス小説のような雰囲気を味わいたく、また今週で薔薇の花は蕾も一緒に切り取ってしまうと知り愛用のママチャリで出かけた。

ここは息子が幼い頃、#鳥人戦隊ジェットマン だっけかの #科学忍者隊ガッチャマン を意識したと思われる東映の特撮のロケがあった場所で、ナウでトレンディな「俺に惚れろ」ってな場面は違うロケ地だし、旧古河庭園から川口市立グリーンセンターに場面が飛んだり乳児と幼児を連れての聖地巡礼が大変だったなぁとか。

自転車で走りジェットマンを思い出し火照った脳を冷やそうと薔薇のジェラートを食したら美味しいけど冷えました。
ハシゴするつもりだった六義園を諦め、谷中銀座で買い物をして帰宅。










































横浜市鶴見区の #ケンミン食品 の東京支店で神戸を喰らう

ケンミンの焼きビーフンにピーマン入れんといてやー
ってシュールなコマーシャルが印象に残っているケンミン食品の料理講座に行ってきました。
神戸で開催されているのは知っていたのですが、私住んでいるのが東京だし、と、拗ねていましたが、ケンミン食品さんの公式ツイートで東京支店でやると知り、大喜びで申し込みしたら横浜市の鶴見。
遠いけど、神戸と名古屋のハーフな私。
つまり神戸の血が騒ぎ、喜んで応募したら参加できました。
参加費は千円ですが、お土産で元取れます。
ケンミン食品の食材の中ではじめましてはライスペーパー
想像していたより簡単に戻せて、美味しい。
焼きビーフンもケンミンのお店で出してる味に近い作り方を教わり、美味しい。
驚いたのが業務用茶葉。
ケンミンが茶葉を出していたの知りませんでした。
上等な烏龍茶不思議な香りがします。
ジャスミンティーの茶葉を使ったカップケーキも旨し。

美味しかったとしか言えないけど美味しかった。

私の父の生家と親戚宅とか母校とか阪神淡路大震災で潰れたんで、懐かしい店の多くは消えてしまったのですが、ケンミンの焼きビーフンとオリバーソースは生きていて嬉しいです。

ケンミン食品の社員さんの中に家が焼けた方がおられて、神戸市灘区から大阪府の八尾市の被災者住宅に移ったとの話を聞きました。
被災者住宅は神戸市内でも西区の田んぼの中や六甲山の裏とか加古川市の宝殿とか、山手線の中から房総半島の中や町田のバス便の地域に出されるような感じで、地域社会に慣れ親しんでいた人たちはバラバラにされて切ない思いをしたんですよ。
地域社会を分断しないように被災者住宅を作るべきと阪神淡路大震災後に言われるようになったのに、東日本大震災でもバラバラ。
阪神淡路大震災ボランティア元年と呼ばれるようになったのは良いけど、ボランティアは無料で使えると行政が喜んでなんでもボランティア頼りになってしまってて、複雑な気持ちです。

























池袋で神戸市長田の味を食う

無言館で受けた情報量の多さで消化不良気味。
無言館には画学生だけではなく、1930年協会の画家の作品もあったので、戦死した画家の資料はどこにあるのだろうと美術史を専攻していた知人に相談したら纏めてる人がおそらく居ないと。
戦没野球人の碑や医学生の碑や少年飛行兵の碑とか無名戦士の碑とかよーけあるやん、画家の碑ないん?

とか結構これから調べないとなあと。

大量に読むであろうまだ見ぬ資料に押し潰されそうになって甘いもの食べに池袋西武の催事場に行き、人の波に怯えて、本屋さんのジュンク堂に転進した、
新刊数冊購入して落ち着いたので、初心に返るべく、みつぼで一杯飲む。
私が若い頃は江戸川橋の3坪の飲み屋だったみつぼ。
企画編集でお世話になっていたイーストプレス江戸川橋にあったなあ。
とか思い出しながら、神戸市長田のお好み焼きが食べたくなり、少し歩いて食した。
長田はもう私の知っている長田ではないし、父も死んでしまい長田に縁はない。
でも一番食べたいのは長田スジ肉が入ったお好み焼きだ。

千駄木の夜店通りにスジ肉のお好み焼きがあるお店があるけど、意識高い系の店でどろソースを使っていても鉄板の上に皿を乗せられて、カットされたお好み焼きを出される。

あれはガッカリだ。
初めて入ったので対応もぞんざいで、関西風名乗らないでほしいと正直思った。
神戸の山手の岡本のお好み焼き屋さんでも感じは良い。下町の長田であんな対応してたら競争が激しいから消える。
谷根千人気にのってるから羨ましいとは思う。
これからも流行るのだろう。
その店、肝心のスジ肉が硬かった。























井上真樹夫さんが亡くなった

元祖イケメン声優は誰になるか?
映画の吹き替えの声優ブーム後にテレビアニメの宇宙戦艦ヤマトによる声優ブームがきた。
この時、朝日ソノラマの月刊漫画誌マンガ少年が声優特集をやり、声優さんたちの顔写真も掲載された。
この時の一番人気は宇宙戦艦ヤマトの主役古代進で、この声を当てた富山敬さんが元祖イケメン声優と呼ばれる。
私も富山敬さん大好きでした。
が、宇宙海賊キャプテンハーロックで主役を演じた井上真樹夫さんもイケメンボイスで、あしたの太陽のヒロインの恋人役のファニーや、巨人の星の主人公のライバルの一人花形満、原始少年リュウ、キャンディキャンディのアルバートさん、ガイキングのピート、数え切れないほどの大人の色気でバンバンでした。
今の人にわかるのはルパン三世の二代目五右衛門ですかね。

ご自身は山梨で空襲を経験され、その体験の語り部としても活躍されていて、私のB-29操縦マニュアルを知っていて下さっているとツイートで知り、過呼吸ものでした。
先月も講演会があり、私は少し遠いので参加はしなかったのですがファンたちとオフ会まで開いておられてお元気そうでした。
お会いできる機会があると信じておりましたので訃報に動揺しております。
御冥福をお祈りいたします。
たくさんありがとうございました。

願われていた戦争を繰り返さないが、ずっとかなっていますよう天国から見守ってください。

長野県上田市にある #無言館 に行ってきました。

博物館などで戦中の調査を仕事にして、江戸東京博物館と足立区立郷土博物館に展示されている資料がB-29や空襲被害関係な私。
父の弟が16歳で戦場に輸送される途中で海の藻屑と消えたおかげさまで、生き残った罪悪感に苦しむ父が屈折して微妙な育ちとなった私。
女なのに戦記雑誌で仕事をしていた私。
絵を習っていた私。

一回は戦没画学生の遺作が展示されている無言館に行くべきだなと思いつつ、ずるずるとやっと本日JR東日本の大人の休日倶楽部のチケットを使って上田市に行きました。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E8%A8%80%E9%A4%A8

台風の被害の痕跡あちこちにある中、北陸新幹線上田駅に着き、乗り換えようとしたローカル線の上田鉄道別所線の鉄橋が折れてて振替バスに乗り、次の駅で別所線の列車に乗って塩田駅へ。
ガイドさんなのかな、ハーモニカの上手な方が童謡を奏でて年配の方たちが歌う企画と鉢合い、歌が好きだった母を思い出して少し寂しく。

窓から見える景色は美田と山並み、醜悪な太陽光パネル
荒れてしまっている空き家。

塩田駅からは事前に予約したタクシーに乗って無言館へ。
https://mugonkan.jp/
タクシーの運転手さんとの雑談で大河ドラマ真田丸の頃は物凄く忙しかったと。
うん、真田丸も面白かった。

無言館の展示はご遺族が守られていたままの状態で、傷んだものも多いが圧倒される。
義父が属していた独立美術協会でも戦死者は出ている。
画家として成功し始めていたものは戦争画家として戦場で死ぬものは死に、戦争画を拒んだものも戦場で死に、これから花が咲く若い画家たちも戦場で散り。

若い花咲く前の画家たちは遺族が大事にしていた思いとともに無言館に寄贈され展示されて、ここに残る。

この画家たちが生きて中堅となり指導層となって育てるはずだった層が育たず、指導者が足りてなかった若者は自由という言葉で暴走して潰れたケースも多いと私は思っている。

戦没画学生たちの絵を特集した美術雑誌の太陽を足立区立郷土博物館の安藤先生に見せて頂き衝撃を受けたのは戦後50年の頃か。
その後、無言館ができることになり、全国から集まった寄付金。
その浄財に税金がかかり無言館発進に赤信号。

そのニュースを見て手弁当で駆けつけ税務署と戦い無言館を救ったのが戦記好きなら名を知らぬものはいない占守島の戦いで、押し寄せたソ連軍と対峙し押し返した士魂部隊の池田隊長のご子息。
ご子息は成人し税理士になっておられ、粛々と合法的に無言館あての寄付金に税がかからないようにした。

池田税理士の父上、池田隊長の教え子には司馬遼太郎がいる。私が士魂部隊の生存者に取材に行くと先に司馬先生の痕跡があるものだった。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E9%81%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E

私が取材した士魂部隊の方々も今はなく、池田隊長のご子息が今年久しぶりにあった慰霊祭に参列されたのをニュースでみた。
戦友会の方々から話して頂いた池田隊長のご遺族が受けた戦後の過酷な生き様。
でも曲がらず立派なご子息だと戦友会の方々が褒めておられた。
そのご子息もすでに高齢だ。

無言館の館長である窪島誠一郎氏は1941年生まれ、東京大空襲で行方不明になっていた水上強氏の息子で、私が中学生の頃だかに水上氏と再会して話題となりドラマにもなった。うろ覚えだ。
その頃の記憶が強いので若いと思い込んでいたけど、先日窪島館長が倒れたと業界の片隅で聞いた。
それも今日無言館に行ったきっかけの一つ。
受付に座っておられてホッとしたけど、ご本人いわく状態はあまり良くないそうで。

まだ、発信していて欲しいと願い、祈ります。

無言館の図書室のコレクションはミリオタ向けと美術史があり、良い場所でした。

図書室で少し雑談をした方が帰りに上田駅まで送ってくださり助かりました。
お嬢様か美大を目指しておられるそうで、奥様とは大学時代に弦楽器同士という関係な、ミリ分と歴分とアニメと芸術分がある方で楽しかったです。
九大事件とか話しながら長野の水害地域のボランティアの話とか話題豊富でした。































盛岡空襲

盛岡の旧市街地と書いて良いのか、私が泊まったホテルの周りの建物や町割りを見る限り戦争で焼けてないようだった。
ただ、確か東京大空襲の時のリゾートターゲットの中に盛岡があった覚えもあり、町の人に尋ねたけど空襲はなかったとのこと。
今は便利なもので総務省が調べた戦争慰霊碑や空襲被害の一覧が簡単に検索できる。
地方都市空襲という大掛かりなものはなかったようだけど、やはり空爆はあった。

昔、母と訪れた時の盛岡城までの道は賑わっていたが、今は本当にドーナツ化している。
あととても寒かった。

地元の人に教えて頂いた、ももどりの揚げ出し豆腐をまた食べたい。
あれは美味しかった。
鳥も美味しかったけど、揚げ出し豆腐美味しかった。