熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

台風

障がいをもつ子がいる親友が葛飾区の中川と荒川の合流地域の実家で孤立してて、心配だった。
ネット環境がないからスマホの電波が頼りで、葛飾区の防災サイトは重くて開けず、私がスクショしてラインで送ってた。
けど、避難所に行ったら子どもが騒いで迷惑になると言う。じゃあタクシーで迎えに行くからうちにおいでと言っても、子どもが騒いだら悪いからと。
彼女とはマタニティ時代から親友で一緒に家族旅行もした仲だし、障がいある子も授かった時から知ってて一緒に遊んだ仲なのに、私の子どもたちとも幼馴染なんだからと思ったけど、彼女多分私の再婚相手に遠慮した。
彼女と今夫も何回も会っているし、猫餌大量にもらったりしているんだから、夫も来てくださいと言ってるのに遠慮する。
奇声あげたり泣き喚くのは知ってるから、個室あるから。

葛飾区の防災情報のサイトは私からも重くて開けなくなり、やっと障がいのある子も受け入れてくれるページが開けたけど彼女の実家の近くはもう満員だった。

なら二階に逃げてと頼み。
それは約束してくれて今も二階にいるけど、どうかどうか私の心配しすぎで、またアンミツ食べながらケタケタ笑いあえるよう祈るような気持ちだ。
葛飾区のあの地域は島のようなものだ。
遊水地域でないから沈むとしても3メートルなので二階で無事にいてくれたら良い。
上流から家がドカドカと流れてこなければ大丈夫だ。
3メートルなら家は浮かない。
と、いいな。
なんで間に合う夕刻にタクシーで向かわなかったのだろう。
娘さんが泣き叫ぶ方が、こうして心配しているより楽だ。
彼女が好きなお菓子もうちにはある。
食べたいならセブンイレブンのスイーツ買い占めても良いから迎えに行けばよかった。
下の子も一緒にいる。
息子と娘が可愛がってきた子だ。

上からの水が流れてきて、しかも二つの川が合流する地域。
友人のお兄さんは公務員なので、役所に泊まり込みで災害対策についている。

無事でありますように。
誰の友人や家族であっても無事でありますように。



谷中の画家界隈だけでなく、日本の画家界隈が狭い気がしてきました。

谷中に新しくできた貸画廊の高村さんの奥様の叔父様が画家をやってて、義父の熊谷登久平とも親しかったと聞いたが叔父様の名を聞き忘れて、今日油絵をやっている若い子と一緒にお邪魔した。

https://www.yanaka.blog/entry/2019/10/10/%23%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%A0%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB_
叔父様の名前、#張替正次 さんとお聞きして驚いた。
私の母の従弟で岐阜県多治見市在住の画家 #川上景也 さんの友人の張替さんだ。

https://m.facebook.com/ShojiHarikae/?locale2=ja_JP

おじさんが東京にきたら張替さんたちと上野の山周辺で遊び、張替さんも多治見によくいらして川上家と仲良く、またおじさんは多治見市の陶器絵の先生だったので張替さんも陶器を一緒に作ったりしていたと、7月に多治見で聞いてきたきたんだよね私。
そもそも、多治見のおじさんに会いに行ったのは熊谷登久平の写真や人間関係とか長谷川利行展のことを聞くために行ったんだもの私。
そしたら川上のおじさんが熊谷守一さんともお付き合いがあったと聞いてびっくりしたし、熊谷守一さんの遺品の中に先日大げんかした親戚のお祖父さん、美術のエッチング史では北京で行方不明になったことになっている人のものもあり。
私の絵の恩師である田中祐一先生も上野の山の昔話をしてくださったし、ここって戦前の画家率凄く高いのね。









#ギャラリー・ファムファタール

買い物帰り、町内会の神輿蔵を通り過ぎたらイランイランのような香りがし、振り返ると豪華な花が見えた。
Uターンして神輿蔵を過ぎたら立看板と花、花、花。
しかもゴージャスなコンサート会場に贈られるよな花。フラワーアート。
同じ町内会だし、いざとなったら夫に謝ってもらおうと老眼を振り絞ってみたら贈り主の名が見たことがあるような。

#明石家さんま
#近藤真彦
#コロッケ

なんなんだろう。
花に誘われて奥に入る、明石家さんまの花は紅の薔薇。

ラスボス🦹‍♀️

#小林幸子

ここって民家だったよね。

のぞくと花と可愛らしいねずみの絵が。

画廊になったんだ。
中にいたお客様と入れ違いでクロックスを脱ぎ用意されているスリッパに履き替え、上がる。
見覚えのあるようなないような上品な奥様に挨拶をされて、「ここの町内会の方ですか」と私聞いた。
「そうですよ」と微笑まれ「私は前田輪業の」と、挨拶をしたらご主人が出てこられて、秋の交通安全運動のテント設営の時に夫を手伝ってくださった男性が少しよそいきのお洋服。

こちらのご夫婦だった。
会うのは祭りや餅つきや神輿蔵の整理とかの時の格好だから、雰囲気が違ってて挙動不審者をしてしまった。

ご夫婦はご自宅を貸し画廊に改装されて、今は三人の女性たちの展覧会。
編み物の作家さん、先のイラスト作家さん、洋画家さん。
それぞれ柔らかな空間を作っておられる。

戦前からの格子天井を活かしたギャラリーだけど、和も洋も包括したつくり。

戦前からの結構良い家。
雑談をしていて奥様の叔父様も画家で義父の熊谷登久平とも交流があった方だという。
名前きちんと聞くの忘れた。
義父たちのモンパルナスの一人。

今回の展示作品の中の洋画が1930年代の洋画界的な、義父たちの色使いに近くて、思わず独立美術協会の方ですかと尋ねたら違うとのこと。

好きな色合いとタッチでした。
眼福。

https://www.galerie-femmefatale.com/



















#小林幸子

銀座でカフェ #サロン春 の写真を見せて頂いた。


銀座の老舗さんの資料室で義父、熊谷登久平を支えた10以上歳上の内縁の妻だった熊谷絹子さんこと、横江政恵こと、源氏名よし江が女給長だったというカフェのサロン春の内部の写真を見させて頂いた。
我が家に残るサロン春のクリスマスの記念写真のカウンターと同じような内装の写真があった。
ほぼ間違いないだろう。
クリスマスの写真の中の黒いドレスの女性が政恵だ。

義父の従兄の記憶の彼女は上野の美術館で仕事をしていたが、それは多分義父が1930年展に参加して二科展に入選し、白日会や独立美術協会の常連化を果たしてからだろう。
彼女が入院していることが新聞記事に載ったりした頃、博物館で働くようになったのかもしれない。

高見順が選んだ色んな作家や文化人の銀座についての随筆などを集めた「銀座」という書籍の中に対談がある。
その中に女給だった女性が上野の博物館だか美術館だかで働いている例があげられていたうろ覚え。
女給の成功例は良い家の奥様、男爵夫人になったとか、お店を旦那さんと始めたとか、上海に行って成功したとかの中の美術館で働いてる元女給の例。
相変わらず想像するしかないけど、社交的な義父を支えた社交的な美しい女性。

義父の甥の英三さんを養子に迎えて妻として全うする筈だった女性のことも、できる限り私は追いたいと思っているけど、できるだろうか。



面白かったのが、そこのコレクションの中に矢野文夫さんに似た写真があったこと。
矢野文夫氏は雑誌社を経営していたので、その縁かもしれない。
矢野氏に似ているだけの誰かかもしれない。












足立区舎人の華屋与兵衛にて会食

早乙女勝元先生とハイスペ研究者との待ち合わせ場所である華屋与兵衛に3分遅れて到着。
舎人駅に着いたら土砂降りでコンビニに飛び込んだ瞬間雨が止んだの。早く行かないのが悪いんですけどね。


早乙女勝元先生の #パパママバイバイノート の挿絵には大きめの共同制作版画が掲載されている。
花畑東小学校の図工教師、#栗山美代子 さんの担当で作られたこの版画は今行方不明だ。
栗山美代子さんが今何処におられるのか、版画は今何処にあるのか、早乙女先生はなぜパパママバイバイノートを書いたのか。

版画の行方、花畑東小学校が統廃合のためになくなり、今は桜花小学校となっている。そこの副校長先生に問い合わせたところわからないとのことだった。

今も少し咲いているが、早乙女先生の庭にはアンネのバラがある。それは花畑の小学校にアンネのお父さんゆかりのバラでアンネが隠れ家から見ていた株を挿し技で増やしたと以前聞いたことがある。
小学校の音楽教師をされていた早乙女先生、つまり早乙女勝元先生の奥様が御存命の頃は見事に咲いていた。

花畑東小学校の美術教師だった栗山美代子さんのこと、奥様が御存命だったらまだツテがあったろうなと思う。
https://www.amazon.co.jp/dp/4876480095/ref=cm_sw_r_tw_api_i_mpiNDbAMGDG5P

誰が誰をなぜ必要としているのかは理解できたので、ママ友の旧PTA網に流しても良いのかな。
花畑の学校の父母の会の役員やってる友人はいるけど。



熊谷寿郎の絵

バリベア会の創始の時の指導者が熊谷登久平で、夫は物が握れるようになったら絵筆とか持たされ、物心がついた頃には絵とピアノを習っていていつから習ったのか覚えてないそうだけど、十代の頃に描いた絵が平面的なので画業に進まなくて正解だったと思う。

模写した絵ではないけど、囲まれて育ったから似るね。

台風とコロッケ

https://twitter.com/hiyo80/status/1181171141836066818?s=21

私は竹ノ塚商店街にあった肉の住吉のコロッケがとても好きだった。
兵庫県明石市大久保町にかつてあった大久保市場の肉屋のコロッケも好きだったが、もうどちらもない。
夫は上野桜木町にあった、たまご屋さんというお肉屋さんのコロッケが美味しかったから一度でも食べさせてあげたかったと言う。
私の世代ならそれぞれ好きなコロッケがあるだろう。

先に書いた肉の住吉は神田にあった肉屋さんの暖簾分けで、神田にあった店は長らく神田明神のお祭りの時に境内でコロッケ販売をしていたと聞く。
あ、でも今の神田明神の祭りは混みすぎるから住吉のコロッケを食べたくても行きたくない。

私が作るコロッケも美味しいが、腰が本当に悪いから作るときは中身だけて、お揚げさんをひっくり返して中に詰めて焼く手抜きのコロッケもどきだ。

谷中銀座のコロッケも美味しいが、今はあの行列が苦手だ。
で、コロッケコロッケとなぜ連発しているのかと言うと、根津神社で今週末お祭りがある。
根津民の為の根津民のお祭り的な町内会連合祭り的なのだ。
そこに、根津の名店が毎回コロッケを揚げる屋台を出してくれる。
ランチでもそれなりに払わないと食べられない店が庶民感覚の作りのコロッケを出すのだ。
私は毎年楽しみにしているし、人が増えたら困るからツイートするのも避けてきた。
が、今週末台風?
屋台はどーなるの。
あ、谷中の菊まつりの菊酒と菊のおいなりさんもダメかも。
てな気分で台風なんだからコロッケも食べられる屋台が出るように願いつつ、どこであっても被害が出ないように祈る気持ちも今は大きい。

あと、某スピリットファイア機が台風を避けて格納庫でじっとしていてくれるのを祈ります。